よりよく生きたい

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死ぬほど東京大学に行きたかった私が、大学で勉強しないミス東大候補を見て思ったこと

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この記事は、こんな受験生と、元受験生の大人のみなさまに読んでほしい記事です。

 ・東京大学を目指しているor目指していた
 ・第一志望に落ちて悔しい
 ・学歴コンプレックスがしんどい
 ・昔から勉強しなさいと言われて育った
 ・第一志望に受かったのにいまひとつ楽しくない

何のために勉強するの?大学受験するの?と、今一度考えてみてください。
 

 

大学の勉強してませんと言う東大生

「勉強しなさい」なんて、聞かなくていい

東大を利用する

今はまったく学校の勉強はしてません


堂々とそう述べる東大生がいる。
今年のミス東大ファイナリスト、「いとまり」こと伊藤真莉ちゃんだ。

東京大学に行きたかった

高校生の頃、私の第一志望校は東京大学だった。

もともと成績は良くなかった。
ごく普通の公立の小学校・中学校に通い、中学2年生頃からはベタに教科書レベルの問題がわからなくなり、努力もせず、赤点ばかり取っていた時期もあった。
好きとか嫌いとかではない。ただ、勉強というものに関心がなかった。

しかし中学3年生になったとき。

行きたい高校に行って将来好きな仕事につくには、勉強しないといけないんだ…!

というごく当たり前のことに気がつき、真面目に勉強し始めた。

実家は農業を営んでいる。村の子どもたちは自分で目標を立てない限り、将来は家の跡継ぎと決まっているのだ。

高校受験も直前の時期。
みるみる成績が上がり、奇跡的に北海道内の(5番手くらいの)進学校に入学することができた。
実家を離れて一人暮らしを始めた。

こんな高校さ入って、ついていけないに決まってる……!落ちこぼれたら田舎のパパとママが泣くべや……!


限りなく下に近い中だった私は
危機感を抱いた。
「絶対に落ちこぼれる」という謎の確信(?)があり、毎日ビビりながら必死に勉強をした。

そんな確信をよそに、いざ定期試験を受けると校内での成績は上々。
先生方から「この成績なら東大も目指せるぞ!」とおだてられた。

えぇ!?嘘でしょ?

と思いつつ、先生がそう言うなら嘘じゃないんだと思った。
私のような凡人でも東京大学を目指してもいいんだと知り、勉強に強いやりがいを感じた。

わかんねー、つまんねーと思っていたことも真面目にやれば分かるようになり、視野が広がるのも面白かった。

本気で勉強したら人生変わるかもしれないんだなぁ、と思った。


そこでふと周りを見ると、同級生たちは「勉強したくね~」「テストだるい」と口々に言って過ごしていた。
ロッカーがなかった我が母校では、教科書を置いて帰ることは厳禁(=持ち帰り家で勉強するのが当然)とされていたが、猛者たちは教壇の下に教科書を隠し、カラの鞄を提げて登下校していた。

入学前は、私などは到底ついていけない、物凄い夢や野望を持った人たちがいるんだろうと思っていた。
しかしそうではなかった。
いやいやいや。このでっかい北海道で、「頭がいい」人たちがここに集まってきているんじゃないのか。

なんか、もったいないなぁ……

もっと楽しく勉強できたらいいのに。
そうして教育学に関心を持った。


それからも試験でよい成績を取るたびに、担任だけでなく学年団や部活動の顧問の先生も「すごいな!」と声を掛けてくれるようになった。
いつしか「落ちこぼれる」不安は大きな自信に変わり、本気で東大を目指そうと思うようになっていた。

将来は教育を学びたい。東京大学の文科三類に、教育学部に行く。

トップの大学に行って、たくさん勉強して、進学校の高校生でさえ「なんで勉強するのかわからない」なんて言っている世の中を変えるんだ。
そして、みんなが前向きに、生き生きと過ごす世の中にするんだ。
本気でそう思っていた。

高校2年生になり、東大の赤本をお守りのように毎日持ち歩いた。
高校3年間、全くと言っていいほど寄り道をしたことがない。毎週日曜日も欠かさず朝8時には学校へ行き、夜まで自習室で勉強する日々を過ごした。

どうしてそこまで打ち込めたのかという程に受験勉強に全力を注いでいた。

 

それでも東京大学に行けなかった

そうして全力を掛けて臨んだ受験だったが、結果は不合格だった。

合格発表の当日。
不合格の失意に沈んでいた私の目に飛び込んできたのは、東大の合格発表の様子を報じるワイドショーだった。
その時テレビに映ってインタビューを受けていた合格者、もとい東京大学新入生の声。


「うお~~~~~!!受かった!やっと解放される!もう勉強なんかしねえ~~!!」。


・・・・・・?

 

あの時の映像、忘れられない。

大学に入って、勉強するスタートラインにこれから立つんじゃないのか。
もう、悔しくて悔しくてしょうがなかった。

どうしても東京大学で勉強したかった人がたくさんいる。
なのにその一席を勝ち取った人が、もう勉強しないだって?

だったら、その一席を私にくれよ

その時本気でそう思った。

あれから10年近くが経ち、私ももういい歳をした大人なのだが、このたび伊藤真莉ちゃんのことを知って最初に思い出したのはこの時の感情だった。

でも私は彼らに勝てなかった。
皆が欲しいその学歴。受けたい講義。
入学選抜に打ち勝った彼らが手に入れるのであって、敗北した私たちにあれこれ言う権利はない。
私たちがどうしても受けたかった講義の一席を、アルバイトに行くからという理由で空けていたとしても、それを非難する権利は1ミリもないのだ。

 

後悔しているか

当時は本当に悔しくて情けなくて、毎日泣きながら過ごした。目指したところに届かなかったから。

しかし浪人しなかったことを後悔しているか、今でも学歴がコンプレックスかと言うとそんなことはない。

それは自分に目標があって、結果として第二志望の大学でもやりたい勉強を好きなようにやれたからだと思う。
ふとした瞬間に当時の悔しさを思い出すことこそあれ、私の大学生活は充実していた。自信をもってそう言える。 

いとまりちゃんの理屈

ここで、話題の東大生・いとまりちゃんのお話を見てみよう。


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これを読んで、(ご本人も触れているが)「東大生なのに学問を大切にしてない!」と批判する人がいる。

気に入らないとか間違ってるとか、思うのは自由だ。
しかし繰り返すが、努力してその地位を勝ち取った人に対して第三者がどうこう権利は無いのではないか。少なくとも私にはない。
悔しいと思ってしまう気持ちはわかるが、個人的に悔しい思いをしていることと、彼女の行動が合っているか間違っているかは別の問題だ。

彼女は「勉強しなくていい」とは言っていない。

要点は「本人のやりたいことや才能の芽を潰してまで、机に向かってお勉強をさせてどれほど意味があるのか」ということ。

世の中には、生まれたその瞬間から「勉強しなさい」「あなたは東京大学に行くのよ」と言い聞かされて育つ人たちがごまんといる。
他のやりたいことも遊びに行くのもダメと言われ続け、ひたすら「受験勉強」をする。もう大学に行っても何をしたいのかわからない、と感じてしまう人がいるのもごく当然のように思える。

あの日私がテレビで見た、もう勉強なんかしねぇと叫んでいた東大生。彼もきっとそうなのだろう。

みんなが羨む合格を勝ち取って、彼は幸せだっただろうか?

そんな意味で、いとまりちゃんの指摘は一理あるのだ。
一方的な「勉強しなさい」は、子どものことを考えているようで考えてないんだって。

 

私の思う大事なこと 

考えてみてほしい。

志望校に行けなくて、いつまでも学歴コンプレックスが消えないあなたも。
第一志望に受かったのに、いまひとつ楽しくないあなたも。

その学歴は何のために欲しかった?

自分が本当にやりたいことはなんだった?

大学名とか肩書きとか、表面ばかりにこだわっているときっとどこかで辛くなる。
何を求めて何をしたいのか。そのために今何をするのか。自分が生きていくうえでの「軸」は、自分が納得できるものに決めたほうがいい。

その軸は、必ずしもいとまりちゃんが言うような「やりたいことをやる」「得意なことを伸ばす」でなくても良いと思う。
こんな環境で働きたいとか。自分の時間を大事にしたいとか。

軸があれば、学歴や就職先や肩書きが当初目指したものと多少変わったって、突然心が折れるようなことはない。
これは何のためにやってるんだろう、私は何がしたいんだろうって思って虚しくなることもない。きっと。

 

大事なのはそういうことだ。

© 2018 Ayaka Sasaki